2017-08-17

無性に

ちょっと長い文章になります。





終戦記念日に、

Instagramにこの絵をあげた。



最初はSNSに載せるための目的で

描いたわけではなくて、

72年前に神風特攻隊の任務で

命をなくした穴澤利夫さんという方への

弔いの気持ちを込めて描きたいと

思い立ったからだった。



なかなかおおっぴろげに言いづらいけど、

私は昔から第二次世界大戦の時代に

深い関心を持っていて、

そのきっかけをくれたのが

この穴澤利夫さんという方だった。



今から12年前、まだ中学3年生のとき。

深夜にたまたまついてたテレビで

ドキュメント番組が放送されていて

それが神風特攻隊についての特集だった。



婚約者と結婚する直前に出撃命令が出て

特攻で命を失ってしまった穴澤さんの事を

その時初めて知った。


近代史は受験にほとんど出ない部分だから

学校でも塾でも本当にうっすらとしか

習っていなかったので、

「神風特攻隊」というものを

具体的に知ったのもこれが初めてに近かった。



戦争が終わってもなお

穴澤さんへの想いを大事に秘めながら

遺品の軍服を抱きしめて涙する婚約者の智恵子さんを見て

頭から雷が落ちたみたいな衝撃を受けたのを覚えてる。



それまで、戦争ってものは

今の自分の平和な暮らしとは

あまりにかけ離れすぎていて、

いまいち現実味が湧かなかった。

まるで他人事のように考えていた。



でも、この番組を見たときに

考え方がまるっと変わった。



自分とさほど年齢も変わらない男女が

普通に恋をして、普通にお付き合いして

やっと夫婦として結ばれると決まった直後

抵抗できない大きな力に無理やり引き離されて、

絶望的な結末になると悟ったとき、

この時代の人はこんな遺書を書くことができたのか。

当時の私はものすごく衝撃だった。



それからというもの、

毎週末になると図書館に行って

借りられる上限の10冊分戦争関連の本を借りて

ただひたすら読み漁った。


その番組のテレビ局に

婚約者である智恵子さんに手紙を送りたいので

住所を教えてくださいと問い合わせたけど

個人情報なのでお答えできないと言われた。

(今考えたら当たり前だよね)


それならどうしても、

あの時テレビで見た番組が

もう一度見たいと思い

探し回った。

でも、動画は当時どこにも上がっていなかった。


なので私はインターネットで調べて

個人で運営されてる神風特攻隊のサイトを見つけ、

その掲示板にこれを書き込んだ。


なんと当時の私の書き込みログがまだ残ってた!

(麦子っていうのは私の当時のハンドルネーム)






所々文章がおかしいのは

見逃してほしい。



この掲示板は、内容も内容だからか

年配の方が圧倒的に多くて

私が「中学3年生です」と書き込んだら

ものすごい勢いでレスポンスが来たことも

よく覚えてる。


そしてみんなとても親切に私の考えや

質問を聞いてくれた。


こんなに若い人が戦争に関心を

持ってくれてとても嬉しいと言ってくれた。



その中の福島県に住む40代の方が

あの番組をDVDにダビングして送ってくれた。



今思えば未成年の女の子が

ネットで知り合っただいぶ年上の男性に

住所と名前を教えるなんて危ない!と思うけど

(もちろん親には言ってなかった)

あの時代に優しい人に出会えてよかったなと思う。


あの時代は今よりもこの点について

危険視されてなかった気がする。


わたしの危機管理能力が

甘かっただけかもしれないけども。

親切に送ってくれたその方にとても感謝してる。



送ってくれたDVDを擦り切れるほど

何回も見て、そのたびに

自分の中でもっともっと戦争を知りたいと思った。



ブログやSNSを

匿名でしてるわけじゃないから、

いろんな考えが持たれてる戦争のことで

誰かの意見を否定したり

自分の意見を強く主張するつもりはないんだけど


わたしの気持ちはただひとつで

ただただこの歴史を風化させたくない、

色々自分の中で理解を深めたい、

もっと知りたい、

勉強したい。

そんなことを思う10年間だった。


私ひとりが戦争を知ることでも

絶対に何か意味があると思ったから、

とにかく知る努力と忘れない努力をした。


すごく不謹慎で

ふざけた話に聞こえるかもしれないのだけど


今まで戦争や自然災害で

何万人死んだって言葉を読んでも、

いまいちその数字にぴんとこなかった。



だけど今、自分のインスタグラムを

フォローしてくれてるひとが5万人も

いてくれるようになって

ようやくその100人、1000人、1万人っていう

人間の数の重みというか、

ひとつひとつの数字がすごくリアルに感じられるようになった。


と同時に、改めて

この戦争で亡くなった人間の数が

どれだけとんでもない数だったのか

気が遠くなるような思いになった。



ひとつの国が行ったことって単位で考えたら

「あの国が先に攻撃したから」とか

「復讐してやったんだ!」とか

「あんなことしたあっちが悪い」とか、

立場によって色々な見方が出てくると思うけど


その国の中にいた権力を持たない人たちは

抵抗できないほどの大きい力に飲まれて動かされたり、

命をおとしたんだと考えると

苦しくて苦しくて、仕方なくなる。



これからも私は、

戦争についてもっと知らないといけないと思うし

絶対忘れちゃいけないことだと

世間に訴え続けようと思っている。


悲しいとか可哀想って気持ちとは

また違う感覚。


胸が痛くなるし、目の奥が熱くなる。

この感じを言葉にうまくできなくて、

もどかしいんだけど、うーん。



友達や周りの人たちに、

戦争に対して一方的に語りまくるのも

引かれるかなと思って

あんまり言わないようにしてたけど、

絵や漫画を沢山の人に見てもらう機会が増えて

しかもそれが若い人たちが圧倒的に多いから

これは伝えるべきなんじゃないか?と思って

今回インスタに投稿してみた。



他にもたくさんの読んでほしい遺書や

伝えたい事もあったけど、

初めに私の心を突き動かした穴澤さんのことを書いた。



今まで恋愛漫画や女の子っぽい絵を載せてきたのに

いきなり戦争関連のことなんて投稿したら

引かれるんじゃないかなとか不安だったけど、

勇気を出してみた。


すると、想像してなかったほど

たくさんの反応が来た。



平和を尊く大切に思う人の言葉や

戦争の経験をされた家族がいる方のエピソードもあった。


そして中に

「この投稿で穴澤さんの遺書を知り、

読みました。教えてくれてありがとうございます。」

というものも沢山あった。

もうそれだけで、

なんだか胸いっぱいになって泣きそうになってしまったのだけど



ダイレクトメッセージも沢山きて、

15~6歳くらいの女の子から

「この投稿を見なかったらきっとずっと

戦争のことを知ろうとなんて思わなかった。

初めてこんな気持ちで終戦記念日を過ごします。」

という言葉をもらった。



なんだか、それを読んだ時に

この絵を描いてほんっっっとうによかったと

頭の先からつまさきまで満たされたんだ。


自分の好きなものを語ったりするのが好きで

それを伝えるための一手段として

自分が唯一できることの絵や漫画で

発信してきたけど

こんなに、こうしてきてよかったと

思ったことは今までになかったと思う。



誰かひとりでも、

12年前のわたしみたいに衝撃を受けてくれて

今ある平和の尊さとか

過去にあった戦争の悲惨さを知ってくれたらと思って

勇気を振り絞って投稿したものに

こんなに反応をもらって、初めて知った!と言ってもらえて。


自分にとって、とても意味のあることができたと思った。

今年はそんな特別な終戦記念日だった。



戦争の経験をした人は

年々どんどん少なくなってるし

中には辛い記憶を思い出したくなくて

多くを語りたがらない人もいる。


何かをしなくてもいいし

戦争に対してそれぞれ異なった考えを持つことは

間違ってない事だと思う。


そのものを知るってこと自体に

意味があるんだとわたしは思う。

沢山の人に伝わっていったらいいなと思う。


いつかわたしが、

もっともっと知識も技術も身につけて

自分の納得いくくらい絵が上手くなったら

戦争の漫画を描いてみたいと思う。


そんなことを思った、2017年の8月15日でした。


投稿を見てくれた人に感謝です。

もしよかったら是非、

穴澤利夫さんの遺書や

他の特攻隊員の方の遺書を読んでみてほしいです。


1 件のコメント:

  1. james.w.noguchi2019/08/16 5:26

    前略
    ストーリーズからこちらへと、
    そして拝読させていただきました。
    あの時代の出来事を知るきっかけが
    神風特攻隊の番組であった、
    それも中学3年生の時だった。
    その時の想い考えを持ち続け
    それをいつか作品にしたい、
    と言う思いはなかなか出来る事では
    ないと思います。
    SNSを狭い範囲ながら利用して
    尚且つ個人的に戦争体験者から
    たくさん取材?聞いた者として
    それを間接的でも伝える若しくは
    発信するべきだったのかなぁ?
    と今更ながら指摘された思いです。
    個人としての戦争体験は
    ◯母が長崎の原爆被爆者
    ◯容姿が幕末に来日した英国人の遺伝?で
    子どもの頃は鬼畜米英の標語通り近所からも
    学校の教師からも軍人からもイジメぬかれた。
    ◯少年時代に京都帝国大学の入学試験を受けに来た台湾植出身の(当時は日本領土の為、中国人にも関わらず日本の姓名を与えられています)父は真珠湾奇襲攻撃でアメリカと戦闘状態に入れり、をラジオで聴いた時、下宿先で世界地図を眺め、どんな事をしても生き抜くと決心。
    ◯そんな両親から生を受け、物心ついた頃から
    仏壇に手を合わせられ、いつも父方の戒名の横にあった小さな写真の中の青年。
    終戦末期志願して沖縄で見習い軍医として戦死した父のいとこにあたる方でした。
    ◯戦争が終結してもその余波は思わぬ形で
    経験していない自分たち兄妹に降りかかりました。
    長々と駄文を失礼しました。
    テイラーの写真展で
    そしてテイラーのコンサートで
    短い時間ですが共有できた事を感謝
    しています。
    その方がいつか漫画であの時代を
    発表する思い、とてもありがたいです。
    拝読出来る日をお待ちします。

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